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小林 可夢偉 〜BANZAI! LAP!!〜
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片山右京、小林可夢偉を語る by コラム:チャレンジライフ

 元F1ドライバー&冒険家
カミカゼ右京と呼ばれた元F1ドライバー片山右京が、中日スポーツのコラム”チャレンジライフ”の中で
小林可夢偉のことについて語ったコラムを紹介しています。
チャレンジライフ   
※コラムの始まった頃から(古い)投稿順に並んでいます。
  □ F1とツール・ド・フランスの共通した世代感
  □ タイトル争う5人の“情熱”と“冷静さ”のバランスを試されたスパ
  □ 『未来都市』シンガポールから『古代遺跡』鈴鹿へ…そのギャップが楽しい
  □ 日本人ドライバーのF1優勝を夢見ていた西山さんの思い胸に鈴鹿へ
  □ 可夢偉の熱い走りから日本F1界の新しい歴史が始まる
  □ 新規要素多い今年のF1 可夢偉の下克上に期待!!
  □ 許容範囲狭いピレリ タイヤマネジメントがカギに
  □ ミハエルを粉砕!可夢偉のタイヤマネジメント力の凄さ
  □ 「ミク」4位も可夢偉4連続入賞も地道な努力のたまもの
  □ “快挙”前日に可夢偉と遭遇 リラックスぶりにビックリ
  □ 可夢偉にセナを見た!果敢に攻めることでタイヤ冷えず速かった

F1とツール・ド・フランスの共通した世代感 2010年7月29日

3週間にわたって楽しませてくれたツール・ド・フランスが幕を閉じた。今年は落車が多く、有力選手のリタイアなど波乱含みの展開だったが、結局はアルベルト・コンタドールが2年連続の総合優勝を果たした。毎晩フランスの美しい風景とともに、数々のドラマに目がくぎ付けになったファンも多かったと思う。僕も寝不足の日々が続いてきたけれど、終わってしまうと少し寂しい。

さて、ツール・ド・フランスとF1を見比べていて思ったのが、参戦している選手層に共通した世代感があるということ。ベテラン勢はワールドチャンピオンのカムバック組、F1に復活したミハエル・シューマッハーと自転車界に戻ってきたランス・アームストロング。両者ともに生きる伝説的存在といってもいいだろう。

彼らの戦いぶりを世界が注目する中、両者ともにまさかの苦戦を強いられ、全盛期バリバリのころにはどうしても及ばない。それは若手躍進という世代交代の波が押し寄せている証拠でもある。F1界ではベッテルやハミルトン、自転車界ではシュレックといったトップを狙えるアグレッシブな若手がベテラン勢を脅かしている。また、前述した連勝を遂げているコンタドールやF1界ではアロンソといったワールドチャンプの常連の域に入っている彼らも不動の地位を築いている。

さらには、これからの結果が期待される、F1の小林可夢偉や自転車の新城幸也という日本人のヤングジェネレーションが存在している。彼らはモータースポーツ界と自転車界のエポックメーキング的な存在となりそうだ。これからの活躍が楽しみな一方で、彼らの存在をいかに次の世代につなげていくかが大事なのだと思う。どのカテゴリーについてもそうだが、日本の場合、スポーツ選手の活躍が一時的なブームで終わってしまうことが多い。もっとスポーツが文化として根付いてくれたらと願っている。国が若手の育成プログラムに力を入れ、世界に通用する若者をどんどんバックアップして送り出すフィールドができれば、恐らく日本人が世界を席巻するさまざまなシーンが見られるようになるのではないかと思う。

ちなみに僕はもうしばらく「オジサン」の代表としてもがいていくつもり。同じ世代の皆さん、まだまだ一緒に頑張りましょう!

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タイトル争う5人の“情熱”と“冷静さ”のバランスを試されたスパ 2010年9月2日

5人がタイトルを争う今季のF1だが、ベルギーGPでは明暗がはっきりと分かれた。目まぐるしく天候が変わるスパのコースが5人のファイナリストをふるいにかけたかのようだった。もちろんまだタイトルは決着していないし、5人にチャンスがあることは変わらない。しかしタイトル争いをしている5人の“情熱”と“冷静さ”のバランスを試すという意味で、スパは試金石のように思えた。

勝ったハミルトンがインタビューで言ったように、今回のようにさまざまなリスクがある場合は“安全”が優先される。そしてハミルトンは見事にそれを実行して勝った。スタートこそ失敗したが、ウェーバーの2位も確実な走りの結果だ。逆に若きベッテルは“大暴れ”してノーポイント。最善を尽くしたバトンは哀れそのベッテルのミスに巻き込まれてしまった。

◆闘志が空回りしたベッテル

確かにベッテルの速さや勝利への情熱は感動的といえるくらい素晴らしい。だがドライコンディションにギア比が合っていない状況で、バトンへの追い抜きはリスクがあった。タイトル争いという精神戦の中で気持ちが空回りしたのだろう。

速さを求めるF1で逆説的な話だが、僅差(きんさ)のタイトル争いでは2位や3位でポイントを貯金する割り切りが必要だ。特に浮き沈みの激しいF1ではタイトル争い自体が千載一遇のチャンス。ベッテルのような才能あふれるドライバーが焦りで自滅するとしたら悲しい。まだ残りレースはある。次は他のドライバーに同じことが起きるかもしれない。実際、レース巧者のアロンソでさえ、今回はクラッシュでリタイアした。ベッテルには、今回の失敗を糧に、モンツァへ挑んでもらいたい。

◆可夢偉の8位入賞は秀逸!

同じような視点で見たとき、小林可夢偉選手の8位は秀逸だ。肝は早めのタイヤ交換ではない。路面とタイヤのマッチングはドライバーが一番よく分かる。つまりタイヤ選択とマネジメントが正しかったということだ。このことが何を意味するのか? “情熱”と“冷静さ”。F1を目指す若い選手たちにも考えてもらいたい。

しかし、かく言う僕も94年のベルギーでは大失敗をした。雨の中、スリックで走っているのはミハエル(シューマッハー)と僕だけ。そして周囲より6〜8秒も速いラップで走っていた時、気持ちがはやってしまった。今回のアロンソと同じマルメディでスピン。せっかくのチャンスをふいにした。

というわけで全然偉そうに言えないわけだが、解説という客観的立場になるといろいろ見えてくるものだ。F1ドライバーになる前にF1の解説者をやっておけば良かった。

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『未来都市』シンガポールから『古代遺跡』鈴鹿へ…そのギャップが楽しい 2010年9月30日

夜の摩天楼の中に出現する色彩と音とスピードの夢物語。まだ3回目の開催にもかかわらず、シンガポールGPはF1シーズンの中で独特の存在感を放ちつつある。同じ公道レースとして、ヨーロッパに初夏の訪れを伝えるモナコGPがあるが、それとはまた違った印象を受ける。モナコGPが歴史と威厳だとすれば、シンガポールGPは一夜限りの幻想や夢とでも言えそうだ。

光の渦の中を走るナイトレースというシチュエーションがそうさせるのかもしれないが、未来都市のような景観はバブル崩壊・リーマンショック後も発展し続けるシンガポールの勢いそのもの。巨大な船が3棟のビルの上に載ったかのような「マリーナベイサンズ」も僕らの常識を覆す建造物だ。不況にあえぐ日本やヨーロッパ、アメリカとはまるで別世界の街。その街でF1ドライバーが戦う様は浮世の苦味を一時忘れさせてくれるかのようだ。

レース内容もレベルが高いのだが、それ以上に周りの雰囲気や演出が素晴らしい。F1と同時にマライア・キャリーのコンサートはあるし、昼間の観光やホテルで提供される食事も満足できる。F1レース単発ではなく、24時間が夢空間の観光として成立しているのだ。

一方、われらが鈴鹿サーキットは歴史ある純粋なサーキットだ。数々のドラマや歴史、そしてドライバーのファイティングスピリッツをかきたてるコースレイアウトが魅力で、富士スピードウェイでの開催となった2年間を除いて、1.5リットルターボ時代からずっと日本GPの舞台だ。去年までで21回の開催を数えるが、その間もコースレイアウトは大きく変わることもなく、130Rはもちろん90年にセナ・プロ因縁の対決となった1コーナー、リズミカルなS字もそのままだ。すべてのコーナーが名物コーナーと言っていいくらいで、ドライバーに不評のシケインですら語り草。鈴鹿のようにオールドコースのたたずまいを残すのはモンツァとモナコ、そしてスパくらい。イモラもバリアンテがなくなり、(いい意味で)古代遺跡のような鈴鹿は日本のF1の歴史であると同時にF1の歴史ともいえる。だからシンガポールという宇宙ステーション的な夢の世界とのギャップもまた楽しい。さらに今年1年間を世界で戦ってきた小林可夢偉選手の凱旋GP。ルーキー勢のNO・1と称されるその走りを、ぜひ皆さんに生で見てほしい。

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日本人ドライバーのF1優勝を夢見ていた西山さんの思い胸に鈴鹿へ 2010年10月7日

ジャーナリストの西山平夫さんが亡くなった。僕がとてもお世話になった方の一人で、下積み時代から僕のことを文章にしてくださった恩人。著書の「キレて疾れ!」では自分でも気付いていなかった僕の姿を本にしてくれた。今、その本を手にとって、西山さんとの日々を思い出している。

その「キレて疾れ!」にも書いてあるように西山さんとの出会いは僕がFルノーに乗っていたころだった。全く無名の僕がヨーロッパという異文化の中で、アクセルを踏んづけてがむしゃらに前だけを見ていた時期にパリで取材を受けたのだ。おなかがすいていた僕は初対面の西山さんに自分で作る炒飯の話をしたら、大笑いした西山さんが中華料理をごちそうしてくれたのだ。シャンゼリゼ通りの裏道を歩いておいしい炒飯にありついた時のことが昨日のように思い出される。

それからずっといつでも西山さんは僕の側にいてくれたように思う。そのせいかもしれないが、西山さんの書く文章はいつも愛情にあふれていて僕がF1で勝つ瞬間を夢見て書いていてくれたことがとてもよく分かる。92年のデビュー戦から94年の好調時、そして95年の落胆。その過程で僕が置かれていた状況やチームに対するいらだち、自分に対する不安やそれと裏返しの強がりにすら見える自信が詳細に記されている。

そしてそんな僕を見ている西山さんのもどかしい気持ちや、叱咤激励、熱い応援が「キレて疾れ!」にはたくさん詰まっている。今もう一度読み返すと僕がどんなふうにF1で戦っていたかが鮮やかに思い起こされる。そして西山さんも僕と同じ夢を見ていたことがものすごく伝わってくる。僕も西山さんの期待に応えたかった。

そういえば「鈴鹿には行くよ」と言っていた。久しぶりに会えるのかと思っていた。なのに突然の訃報(ふほう)。とてつもなく悲しくて寂しい。周囲で自分を応援してくれる人が亡くなるのは、本当につらい。もう一度会いたかった。

日本人ドライバーがF1で勝つことは西山さんが僕らと一緒に見ていた夢だ。それは次の世代に引き継がれたが、まだ誰もその夢をつかんでいない。小林可夢偉、さらにそれに続くもっと若い世代の選手がきっとその扉を開けてくれる。そして僕に対する西山さんがそうだったように、そんな若い選手を僕も応援していきたいと思う。

今週末、西山さんに会えるはずだった鈴鹿で日本GPが行われる。故人のご冥福を祈りつつ、鈴鹿に向かおう。

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可夢偉の熱い走りから日本F1界の新しい歴史が始まる 2010年10月14日

今年の鈴鹿は、日本人ドライバーの小林可夢偉選手が、存在感を強烈に世界にアピールしたレースだった。去年の鮮烈デビューも印象的だったが、今回の鈴鹿で見せたファイティングスピリッツ、スピード、勝負強さといったすべての面で見る者を魅了した。

スタンドの観客のみならず、ピットにいたメカニックたちも可夢偉が1台抜くたびに大騒ぎ。ファンから愛され、チームから愛される彼は、世界に通用する日本人F1ドライバーに成長してくれた。そして、10月10日に可夢偉が世界に与えたインパクトは、これまでの日本人ドライバーやF1にかかわってきた大勢の日本人の歴史だと思うと、僕の胸にも熱いものが込み上げてきてしまった。

これまで僕を含めて何人もの日本人がF1を戦ってきた。76、77年の富士スピードウェイでは、高橋国光さん、高原敬武さん、長谷見昌弘さん、星野一義さんが外国人ドライバーをスポット参戦で迎え撃ち、87年に中嶋悟さんが初のレギュラードライバーとして参戦。その後、鈴木亜久里さんや僕を含めて可夢偉まで、8人の日本人がレギュラーとしてF1を戦った。

その間、ホンダやトヨタがF1に参戦し、ブリヂストン、ヤマハなど多くの日本企業や日本人がF1にかかわってきた。フジテレビも、87年から1レースも欠かさずF1をお茶の間に届けてきた。加えて、大勢の日本のF1のファン。これらのどれかひとつでも欠けていたら、10月10日に僕らが見た可夢偉の快進撃はなかったかもしれない。

事実、日本企業の後押しなくして日本人のF1ドライバーは生まれない。TDP(トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム)やSRS(鈴鹿レーシングスクール)をはじめとする育成プログラム。そして日本企業からのスポンサード。僕もそうだったが、日の丸を背負うということはそういうこと。たくさんの人々の夢が詰まっている。そして、日の丸を背負ったドライバーが活躍する時、また新しい夢が始まる。子どもたちはあこがれを感じ、下位カテゴリーで頑張っている若者たちには勇気が生まれる。

可夢偉の鮮烈なパッシングシーンは、現地やTVで観戦した子どもたちの記憶にしっかりと刻まれたことだろう。そして、そこからまた新たな歴史が始まるにちがいない。いよいよ日本のF1も本物の歴史や伝統になろうとしている。鈴鹿を目前に亡くなったジャーナリストの西山平夫さんがいたら、どんなことを言っただろう。どんな記事を書いただろうか?

 「西山さん。やっと、僕らの夢が動きだそうとしているよ」

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新規要素多い今年のF1 可夢偉の下克上に期待!! 2011年2月24日

予想されていたことだが、今年のF1開幕戦バーレーンGPの中止が決まった。現地の政情不安が伝えられて、TV解説で現地入りする僕としても不安はあったが、こうして中止が決まると複雑な思いだ。個人的な意見を言うなら、政治紛争がスポーツに影響するのは残念だ。

もちろんビジネスとしての面やブルジョア的象徴ともいえるF1が今の中東情勢に似つかわしくないことも確か。理想論なのだが、国を挙げての祭典であるグランプリウイークだけでも銃を置き、振り上げた拳を下ろして平静を取り戻してほしかった。それがスポーツの国際イベントが本来持つべき外交力であるし、魅力だったはずだ。でも理想と現実は違った。今は中東が少しでも早く平和を取り戻すことを祈るのみだ。

さて今年のF1だが、新規要素が多く意外性を含んだ下克上が期待できるシーズンだ。まずタイヤ。ピレリに替わったことでタイヤマッチングに関する新たなアプローチが必要になる。一見同じに見えるタイヤもメーカーによって設計思想が違い、ショルダー部分の剛性、スリップ角などの違いに、ドライバーは適応する必要があるのだ。もともとのドライビングスタイルとマッチしていれば問題ないが、人間だから好みが違うと苦戦する場合もある。その結果、開幕当初は意外なヒーローが出現する可能性がある。もちろん、トップチームやベテランドライバーはすぐにキャッチアップするだろう。

さらに新デバイスとしての可変リアウイング。自然に変形するタイプでなく、ドライバーが積極的に操作することになっている。しかも先行マシンと1秒未満に接近した時のみ使用可能でオーバーテークボタンみたいな効果が期待できる。逆にコーナー入り口で挙動が安定しない可能性も否めない。このあたりはレースの駆け引きに影響しそうだ。同じくオーバーテークに影響するアイテムとして、KERS復活も重要。可変リアウイングに加えドライバーの仕事が増えたわけだが、これでレースがエキサイティングになるなら大歓迎だ。混戦やエキサイティングなレース、そして下克上が期待できそうな今シーズン。テストを見る限り、われらが小林可夢偉は好調で開幕からの活躍もありそうだ。本人は慎重なコメントを発しているが、少なくとも去年の開幕より準備ができている。去年を上回る結果も現実になりそうだ。開幕戦は豪州までお預けだが、F1は今年も見どころが多そうだ。

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許容範囲狭いピレリ タイヤマネジメントがカギに 2011年3月3日

F1の開幕戦がオーストラリアまで延び、思いをめぐらす時間が増えたが、僕らTV解説陣の意見交換も活発だ。そして、いろいろな方々の話からすると今季のポイントは先週も書いたことだが、ピレリタイヤとダウンフォースのようだ。この2つは僕の周辺でもほぼ見解が一致しており、今週はまずタイヤのことに触れたい。

ピレリがタイヤ供給を決定したのは昨年のトルコGP。短期開発が影響したのか、昨年までのブリヂストン(BS)とは全く違うようだ。BSには生き物のような順応性があり、ドライバーがしっかり暖めて使えば幅広いコンディションをカバーできた。ところが開発期間が短いことで細部が詰められていないのか、ピレリは極めて許容範囲が狭い。たとえばスリップ角限界(進行方向に対してハンドルを切った時にグリップを失わない角度)が浅く、少しでも荒っぽい使い方をすると、タイヤが滑り、アンダーが出たり加速しなかったりする。カタルーニャの高速コーナーでもタイヤが滑る。つまりドライバーには我慢が求められると同時にスリップ角のピークを見つけて効率良く曲がって加速する能力が必要とされるのだ。

決定的な差はラップタイムの落ち方にも出ていて、10周も走るとタイムが大きく落ちる。これはパーマネントでないコースのように路面が荒れたサーキットだと、スリップ角限界の浅さも手伝って、タイヤがすぐに駄目になることが予想される現象だ。これらを総合すると、アロンソやハミルトンのようにタイヤマネジメントのうまいドライバーが有利になる可能性が高いといえる。そして可夢偉にもチャンスがあるということになる。

 タイヤのグリップダウンは運動エネルギー回生システム(KERS)にも影響する。なぜなら制動時に放出されるエネルギーを回生する仕組みはエンジンブレーキみたいなもので、タイヤのグリップが低いと後輪がロックする。ロックの防止にはKERSの利きを下げるしかなく、結果的に設計通りの働きをしないかもしれない。

結局クルマが走るのも曲がるのも止まるのも、全て最終的にはタイヤ。これはF1も同じことでいろいろなことに影響する。もちろんシーズンが進むにしたがって改善されるだろうが、短期間で開発せざるを得なかったタイヤが要素となり、今年のF1は予想外の展開が随所で見られそうだ。

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ミハエルを粉砕!可夢偉のタイヤマネジメント力の凄さ 2011年4月14日

ベッテルが開幕2連勝を飾った2011年のF1。「KERS」(運動エネルギー回生システム)、可変リアウイング(DRS)、そしてピレリタイヤと新しい要素が盛り込まれたが、トップ3チームは変わらない。

ただベッテルと同じマシンに乗るウェーバーは、シーズン序盤に弱いのか、昨年と同じようにチームメートに後れを取っている。そしてフェラーリは開幕前にも予想したが、スピードが不足している。そこに分け入ってルノーの2人が2レースでそれぞれ表彰台に上った。すべてが前評判通り。やはり、強い者は常に強いということだ。

評判通りと言えば、やはりピット戦略=タイヤ戦略の重要性だろう。とくに今回のマレーシアGPは頻繁にタイヤ交換シーンが見られた。神経質なドライバーと耐えるタイプのドライバーで違いが出るが、F1ドライバーはより一層のグリップを求めるのが性(さが)。急激なグリップダウンに、無線でタイヤ交換を悲痛な声で要求するシーンも多かった。

それでもグリップ限界でスピードを引き出そうと、アクセルを踏んでいくのはさすが。前のマシンを追っている時の車載カメラを見ていると分かるが、コーナーの途中でリアが落ち着かない様子が誰の目から見ても明らか。あの状況でタイヤの横方向のグリップとトラクションのバランスを取りながら、アクセルを開けて走る姿にF1ドライバーのすごさが垣間見える。

そして、今回のマレーシアGPであらためて分かったのは、われらが小林可夢偉選手のタイヤマネジメント力の高さだ。グリップダウンに耐えながら、なるべく長い周回数を軟らかい方のオプションで走り、プライマリーで走行する周回数を最小限にとどめた。こういうマネジメントができるドライバーは少ない。序盤から続いたミハエル(シューマッハー)とのバトルに勝ったのはタイヤマネジメントをしっかり行いピットインを遅らせたことが大きいだろう。そう考えると可夢偉の力なら十分に表彰台に上ることができると思う。トップ3とのマシンポテンシャルの差はあるが、Q3に連続進出したことからしても戦闘力はありそうだ。トップ3の作戦ミス、そして少しのラッキーがあれば、いい仕事の結果としてルノーの2人のように表彰台を狙えるだろう。

そんな可夢偉の可能性を思うと、何だか勇気がわいてくる。いつまでも自粛ムードでいては、経済も回らないし、復興もスタートできない。国内の各カテゴリーも開幕するし、延期になっていた僕の自転車レースもいよいよ開幕。自粛より活気を求めて、そろそろ行動の時期だ。

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「ミク」4位も可夢偉4連続入賞も地道な努力のたまもの 2011年5月26日

寒冷前線が日本を縦断した22日。岡山国際サーキットで開催されたスーパーGT今季2戦目でわが「初音ミクグッドスマイルレーシングBMW」は4位でチェッカーを受けた。手堅く戦った開幕戦でチーム創設以来最高位(5位)を挙げた僕らは、その最高位をさらに更新できた。まさに上昇気分、流れが来ているようだ。

実は正直言ってマシンの調子はいまひとつ。トラブルを抱え、コーナーの立ち上がりでストレスを感じていた。またマシンの素性もコースに合っていないようでタイムが上がらなかった。それでも予選では谷口信輝選手と番場琢選手がQ1とQ2を果敢に走ってQ3に進出。2戦連続のトップ10入りを果たした。しかしトラブルは解消せず、Q3ではタイムが伸び悩み8位。ただシステマチックなGT500と違ってGT300はもっとヒューマンな戦い。ペースが上がらない状況だが、ドライバーの力量などで十分に上位を狙えると信じていた。

そして決勝。スタートドライバーの谷口選手は予選で使った軟らかいタイヤをそのまま使用する作戦をとった。序盤でペースを上げて上位に進出し、車間が広がる後半はペースをコントロールしながら走り切る作戦だ。期待通り、谷口選手は1周目に3台抜き5番手に進出。予選で使ったタイヤでグリップダウンに苦しみつつ23ラップ目に5番手でピットインした。残りの距離を番場選手に託したわけだが、硬いタイヤにもかかわらずペースは上々。

アウトラップの16位からどんどん追い上げ、51ラップ目には4番手、後続のペースが上がってきた後半は再びペースを上げる粘りで4番手をキープしてチェッカー。表彰台にはあと一歩もマシンの調子が出ない苦しい状況で人間が闘うことで最高位記録を更新できた。この先は表彰台を狙いたいが、他チームも進化するから簡単ではない。ピット作業の改善やマシントラブルの解消など小さな努力を重ねて着実に進歩したい。

この日バルセロナではF1スペインGP。こちらは小林可夢偉選手が10位入賞。スタートでいきなり接触して最後尾に落ちたが、あきらめず、4連続入賞という見事なリザルトだった。番組冒頭で「インパクトがない」と言ったが、地味なことも長く続けばインパクトになる。地味でも着実な努力を積み重ねていくことが大切だと感じた日曜だった。

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“快挙”前日に可夢偉と遭遇 リラックスぶりにビックリ 2011年6月2日

今年のレギュレーション変更の効果は予想以上だった。ある程度そうなるとは思っていたがモンテカルロの市街地コースでさえ「抜けるコース」に変わった。KERS(運動エネルギー回生システム)とDRS(可変リアウイング)、さらにタイヤ戦略が各ドライバーで違うことから、タイヤがグリップダウンしたドライバーとフレッシュで走るドライバーが混在。結果として、渋滞と接戦が演出され見応えのあるレースだった。

そのモンテカルロを粘り強く走った小林可夢偉選手がこれまでの日本人の記録を塗り替える5位に入賞した。思えば僕をはじめとする何人もの日本人が辛酸をなめてきたわけで、08年に中嶋一貴選手が7位入賞するまで誰もポイントを獲得できなかった。しかしわれらが可夢偉はそこで見事に生き残り、表彰台の一歩手前まで行った。タラレバで申し訳ないが、もし終盤のマルチクラッシュに上位3人が巻き込まれていたら表彰台どころか優勝の可能性もあった。そして、あの第2ヒートがなければ、あのまま4位だっただろう。

しかも2ヒート目のスタート時点で前を走るドライバー3人は世界王者。後ろは昨年のモナコウイナー。もっと言うとベッテルが勝ったことで、可夢偉より前でチェッカーを受けた全員がモナコウイナー。そう考えるとこれは快挙だ。

その可夢偉。実は休息日の夜に、僕らが食事している店にふらりと現れた。食事のテーブルに加わってしばらく談笑。プレッシャーに押しつぶされそうなレースウイークの夜に、しかも、モナコという特別な場所でこれほどリラックスしている日本人ドライバーがこれまでいただろうか? まさに新世代、いや超新世代のドライバーだ。

残念なのはこの快挙の扱いが日本で小さかったこと。大きく報道されるのはやはり“優勝”という結果だけなのか? 今回の5位の価値が正当に評価されれば、もっと報道されて良かったはず。でもそのうちトップチームで走るようになったら「小林可夢偉、F1で優勝!」の文字がテレビや新聞で躍るようになるだろう。その時のために可夢偉にはレースマネジメントのうまさだけでなく他を圧倒するスピードを磨いてもらいたい。

しかし、返すがえす思うのは「いらない第2ヒートだったな」ということ。ガソリン補給以外は何でもありで、そこまでの戦略はいったんリセット。苦労してタイヤをいたわったドライバーにしてみれば作戦が水の泡。そしてハミルトンはタイムロスなしで、傷めたウイングを交換した。F1レースとしてそりゃないでしょ!

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可夢偉にセナを見た!果敢に攻めることでタイヤ冷えず速かった 2011年6月16日

小林可夢偉選手、6戦連続入賞! 表彰台に立ったわけでもなく日本での報道の扱いも大きくはないが、これだけ入賞が続くと可夢偉は確実にインパクトのある存在になってきている。

それにしても今回のカナダは本当に悔しい。悔しいを3回繰り返して言っても足りないくらい悔しい。せっかく2位を走っていたのに、天候回復を待つということで赤旗中断。2時間以上も待たされた揚げ句に2ヒート目がスタートとなり、7位になってしまった。

得意の「タラレバ」の話で恐縮だが、あのまま終了していたらと思うと地団駄踏みたくなる。もちろんあそこで終了したらハーフポイントなのは分かっている。しかしリザルトに2位という結果が残ることの方が大切。日本人F1ドライバーの歴史がまた1ページ追加されるはずだったと思うと、悔しくて仕方ない。そしてこうやって文章にすると悔しさがさらに増幅してしまう。

さてテレビ放送中にも話題になったが、可夢偉の快走は故A・セナ選手を思い出させた。誰もが縁石を踏むことをためらう路面の中、アクセルを緩めることなく、マシンをコース内にとどめ続ける走り。映像を見てもとくにダウンフォースを強くつけていた様子もなく、いかに果敢に攻めていたかが分かる。そして攻めることでタイヤが冷えず、結果として速かったのだと想像できる。同じような走りをしていたのが表彰台まであと一歩だったM・シューマッハー。彼もタイヤを冷やすことなく走れる数少ないドライバーの1人で、その才能はやはり衰えていなかった。ただ同世代の僕としてはミハエルも表彰台に立ってほしかった。これも今回の「悔しい」のひとつだ。

裏を返せば可夢偉のタイヤ管理はミハエルにも匹敵するということだ。そして特筆すべきは前戦のモンテカルロでもそうだったように、レースが荒れても自分のレースを貫いていること。それは過去の偉大なチャンプたちに通じるものであり、可夢偉がワールドスタンダードに通用することの証しのように思える。

そのような選手がやっと出てきたことに幸せを感じるのは僕もF1ファンの皆さんも一緒。可夢偉からはF1に挑戦してきた日本人の悲願、表彰台の中央が具体的に狙える可能性を感じる。そしてそれが達成された時、僕らの挑戦も無駄ではなかったと思えるだろう。でも鬼が笑うから、その話はその時までとっておこう。

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