可夢偉の熱い走りから日本F1界の新しい歴史が始まる 2010年10月14日
今年の鈴鹿は、日本人ドライバーの小林可夢偉選手が、存在感を強烈に世界にアピールしたレースだった。去年の鮮烈デビューも印象的だったが、今回の鈴鹿で見せたファイティングスピリッツ、スピード、勝負強さといったすべての面で見る者を魅了した。
スタンドの観客のみならず、ピットにいたメカニックたちも可夢偉が1台抜くたびに大騒ぎ。ファンから愛され、チームから愛される彼は、世界に通用する日本人F1ドライバーに成長してくれた。そして、10月10日に可夢偉が世界に与えたインパクトは、これまでの日本人ドライバーやF1にかかわってきた大勢の日本人の歴史だと思うと、僕の胸にも熱いものが込み上げてきてしまった。
これまで僕を含めて何人もの日本人がF1を戦ってきた。76、77年の富士スピードウェイでは、高橋国光さん、高原敬武さん、長谷見昌弘さん、星野一義さんが外国人ドライバーをスポット参戦で迎え撃ち、87年に中嶋悟さんが初のレギュラードライバーとして参戦。その後、鈴木亜久里さんや僕を含めて可夢偉まで、8人の日本人がレギュラーとしてF1を戦った。
その間、ホンダやトヨタがF1に参戦し、ブリヂストン、ヤマハなど多くの日本企業や日本人がF1にかかわってきた。フジテレビも、87年から1レースも欠かさずF1をお茶の間に届けてきた。加えて、大勢の日本のF1のファン。これらのどれかひとつでも欠けていたら、10月10日に僕らが見た可夢偉の快進撃はなかったかもしれない。
事実、日本企業の後押しなくして日本人のF1ドライバーは生まれない。TDP(トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム)やSRS(鈴鹿レーシングスクール)をはじめとする育成プログラム。そして日本企業からのスポンサード。僕もそうだったが、日の丸を背負うということはそういうこと。たくさんの人々の夢が詰まっている。そして、日の丸を背負ったドライバーが活躍する時、また新しい夢が始まる。子どもたちはあこがれを感じ、下位カテゴリーで頑張っている若者たちには勇気が生まれる。
可夢偉の鮮烈なパッシングシーンは、現地やTVで観戦した子どもたちの記憶にしっかりと刻まれたことだろう。そして、そこからまた新たな歴史が始まるにちがいない。いよいよ日本のF1も本物の歴史や伝統になろうとしている。鈴鹿を目前に亡くなったジャーナリストの西山平夫さんがいたら、どんなことを言っただろう。どんな記事を書いただろうか?
「西山さん。やっと、僕らの夢が動きだそうとしているよ」
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